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zoom RSS 現在の民主主義の考え方では被災地は復興しない。

<<   作成日時 : 2014/03/15 16:05   >>

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先週から今週にかけて、10数回目の被災地訪問をしてきた。
11日を前後してTVでも特集をやっていたからお分かりでしょうが、3年も経ったのにあちらこちらほとんど更地のままが多い。
さて、現地で次のような感想を持ったのだがいかがだろうか。

三者三様十人十色千差万別の言葉があるように人が複数集まれば多種多様な意見があるのは当たり前。
例えば被災地の住まいについてだけでも、
・元のところに帰りたい人たち。
・故郷には帰りたいが高台に移転できるならという人たち。
・もう帰る事はできない。今の地で暮らしたいという人々。
それらの人々を100%満足させることが出来るだろうか?

以下は一般論。
弱いリーダーはそんな時どうするか。
みんなの意見を聞いて歩き、その結果時間稼ぎをして放置する。
自分が担当している間には決めない。
それは、責任を追及されるのが怖い。自分を悪く言われたくない。からではないのかしら。
嫌われたくない憎まれたくない。
で、中間を取ってみんなが少しづつ満足する結果をだす。
それは見方を変えると、みんなが少しづつ不満を持つということだ。
つまりなにをしようと不満は出るわけだ。

枕草子にも、
世の中にありえないこと(もの)として
『白銀の毛のよく抜る(ぬくる)毛抜き。主(しゅう)誹らぬ(そしらぬ)従者(ずさ)』
つまり上に立つものは何をやったって悪く言われるものだ。

私が小学校時代の昭和20年代は戦後すぐの時代で『これからは民主主義だ』と先生からも何度も教わった。
そのときにいわれたのは『民主主義とは多数決』
もしかしたらこれは先生方の解釈の間違いだったかもしれないけれど。
だから教室ではクラス内のことを決めるのに、討議をした後必ず挙手で賛成多数の決定に従った。
我がクラス当時62人(いまでは信じられない数)だったが32:30でも32人のほうに決定したしそれが当然だと思っていた。
その意識は未だに身についていて、会社員時代も討議の後決定事項に不満でも「従います」とやってきた。

いつからわが国では『決定する時は全員一致』になったのだろう。
国会などでも多数決で決しようとすると民主党党首の常套句『多数の横暴』。
少数意見こそ大切などといわれ、たった数人の党の意見が通りかねない。

話を元に戻す。
今のような民主主義の形態で被災者みんなが100%満足するとの結果出せますか?
今日着る服を何にするか、昼飯に何を食べるか、夜になって何を呑むかなどの日常から、結婚するかどうかまで人生は何をするか決断の連続だ。
被災地をどのようにしていくか決めるのが、役人のトップか、自治体の長か、議員か知らぬが自分の首や次回の落選などにこだわらず『嫌われる勇気を持つ』ことがなければリーダーなんてできるものか。
例えば社名などでみんなの顔を立てると
三菱UFJモルガン・スタンレーPB証券などと・・・(^^ゞ





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