三陸海岸の石碑は警告していた

三陸海岸沿いにドライブをすると、過去にここまで津波が来たというマークを頻繁に、しかも信じがたいほどの高さの場所に見ることができる。
また、これより下に家を建てるなという昔の人の石碑が何箇所かにある。
写真の石碑、「高き住居は児孫に和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」
画像


さて以下は4年前だが
日経BP 2007/04/11記事から抜粋

人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか、防災研究家の片田群馬大学教授に聞く
ーーー前略ーーー
もう1つ例を出しましょう。日本にも数多くある「津波の常襲地域」における教育の事例です。まずは、津波の常襲地域の現状を説明しましょう。

岩手県の三陸沿岸などは、有史以来何度も繰り返し津波が襲ってきています。「明治三陸津波」では、釜石地区の6500人のうち4000人が命を落としています。

そんな歴史もあるので、例えば岩手県宮古市の丘の上には、明治時代の津波の鎮魂碑が建っていて、そこには「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします。

しかし現在、この碑を無視するかのように、その碑の下には家が建ち並んでいます。

三重県の錦地区にも似たような事例があります。ここは、昭和19年に三重県志摩半島沖を震源として発生した「東南海地震」で、大きな津波被害に遭った場所です。

実は、この津波で甚大な被害が出た地域は、昭和40年代前半まで復興が進まなかったという事実がありました。これは、当時の人が「今ここに家を建てたら、次の世代が津波の被害に遭って、自分達の世代と同じ思いをする」とちゅうちょした結果でした。しかし錦地区は、昭和40年代後半にブリの養殖で地域の経済環境が良くなって、町が復興しました。

津波は、向こう30年間で見たら「60%」といった確率の問題であるかのように見られますが、100年のスパンで見たら100%やってくる「必ず起こる災害」です。しかし人々は、被害に遭った時の思いを忘れてしまい、記憶を風化させてしまいます。そして風化したころに津波がやってきて、同じ被害が繰り返されようとしています。

津波の碑を建てて警告を残した人々、被害を忘れずに復興をためらった人々--そういった先人の心を思うとやるせなくなります。今われわれが取り組んでいるのは、同じ事を繰り返さない地域をどうやって作るのか、ということです。そのためには、人々の心に寄り添うことが欠かせません。 ーー後略ーー

以下はブログ管理人から
・三重県には行ったことがないので分からないが、三陸地域はリアス式と言われるように、山からいきなり海岸に落ち込んでいる。
・業としては漁業者が多い
・海岸に舟を置き、毎朝夕山道を上下するという大変な労働をしなければならない
・津波の記憶が薄れてくると、海岸に作業小屋を作り、そこで仮眠を取るようになる
・だんだん生活の場になる
・もう大丈夫だろうと普通に家を建てる
これは、オレでもその立場だったらやるだろうと思われるな

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